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2010年3月

2010年3月25日 (木)

異動が決まりました

先日のブログで予告だけしていましたが、昨日正式に辞令を受けました。

3年振りに東京に戻ることになりました。

私的にはもう少し仙台にいたかったんだけどね。。。
全国どこでも行くことの出来る資格を持っているので、まあ仕方がない。
今住んでいるアパートもそろそろ引越ししたいと思っていたので、会社のお金(←ここ重要)で引越し出来るなら良いや。

で、昨日から荷物を詰め詰めしているんだけど、なかなか進まない…(><)明日、明後日は家探しで東京に帰るので準備はストップ。
火曜日の業者の下見までに片付けられるかしら?

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2010年3月21日 (日)

お知らせ、と言うかご報告

更新が滞っていましたが、生きてます。

えっと、この度辞令を受けることになりました。内容はまだ判りませんが、引越を伴うことは確実です。

イベント参加のことを考えれば、首都圏方面が良いのですが、実家には帰りたくない…。そうなったとしても、一人暮らしを続行する方向で検討する予定です。

水曜日には辞令の内容が判ると思いますので、またご報告させていただきますね。

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2010年3月13日 (土)

毎度恒例になったので

今回も一言。

そこでこのブログ読んでるそこの貴女。早いとこ明日の準備して寝て下さいね。
今回も留守番組ですが、速報・レポは大歓迎です。

楽しんできて下さいね〜。

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2010年3月 7日 (日)

20年以上前の

ことを書く前に2年前のシンガポールGPの記事も作成していないのに、何やってんでしょ。私。

まあ、いいや。気を取り直して改めて。

この記事は20年以上前に私が体験した入院・手術の記憶を思い出せる範囲で書いています。なにぶんにも古い記憶なので、所々あいまいになっていることを踏まえてゆる〜い気持ちで読んでいただけると助かります。
あ、とりあえず海外での話、ということと20年以上前の話(しつこいって)ということを踏まえて、さあ、行ってみよう。


中学校の新築の体育館で体力テストの時に何故か雨漏りしていた水に足を滑らせて、足に違和感があるなぁ…と思いながら過ごすこと1ヶ月。その間、何度も病院(日本人向けの診療所があったんだな)でレントゲンを撮っても「異常無し」と診断され、親にも体育の授業を休ませてもらえず、足を引きずりながら学校行っていたけど…

再び新築の校舎で転んだら本格的に歩けなくなっていました。
すぐに通っていた病院に連れていかれたけど、そこでは原因は特定できず。
その日は痛み止めの注射を何本も打ってもらって自宅に帰りました。

自宅に帰っても玄関から2階の自分の部屋に歩いていくことは出来ず、床に布団(シーツだったかも?)を敷いて貰って寝ていました。歩けないので、学校にも行けず、どこへ行くにも這っていたのだけれど、

あまりにも痛みが引かないので、現地の別の病院を紹介してもらって診察してもらったら

大腿骨頭辷り症

と診断されました。簡単に言えば骨盤と大腿骨の間にある軟骨がずれたんだけど…

診断されたら即入院・翌日手術が決定し、状況の把握が出来ないうちに病室へ連れて行かれました。
(因みに余りにも急すぎる&医学用語が全て英語で、正確な病名を知ったのは最近、別の症状で病院に行った時にそこのお医者さんに聞いた時でした)
病室に向かう時も車椅子に乗せられ、「付いてきてね(英語です)」とにこやかに言われて、必死に車椅子動かした記憶が。。。フツーは後ろから押してくれるよな、多分。

手術を控えていたので、すぐに血液検査(今思うと万が一の時の為の輸血用血液を確保するためだったんだろうけど)で大袈裟でなく太い注射器1本血液を取られました(漫画でデフォルトした大きな注射器が出てくるけど、あんな感じ)。

その日の夜は足を固定していたので寝返りが出来ず、消灯時間を過ぎても眠ることが出来ずにいたら

「これ飲んで早く寝てね(全文英語っす)」

と渡されたのは睡眠薬でした。…医師の処方…じゃないよな。夜中だし。


翌日は早朝に叩き起こされ、手術前の準備(具体的に何やったのかはよく覚えてない)をしていたんだけど、足に何本も注射を打っているときに

明らかに針を刺したまま注射器だけ変えてた!!

なぜか、これだけは覚えています。その時の跡は今でも残っています。


手術室に向かった後、始まる前に待機室みたいなところで待たされるんだけど、どうやら手術が終わった人が麻酔から覚めるまで寝かされているのも同じ部屋だったようで

「手術が終わったよ(英語です)」

とあちこちで聞こえてました。(ストレッチャーに寝かされているので身動きできず、音声のみ)

そうこうしているうちに自分の手術の準備が出来たらしく、待機室(?)を出たのが午前10時。
麻酔かけられて次に眼が覚めた時は「一瞬で終わった」と感じたんだけど、元の待機室で時計を見たら…

午後2時過ぎてた…。

そこで手術の大きさに何となく気が付きました。


具体的には、股関節のところを開けて、大腿骨から軟骨・骨盤にかけて穴をあけてボルトを3本埋め込んでいます。1年半後にこれを抜き取る手術を受けたんだけど、この時は抜くだけだったので2時間ぐらいだったと記憶しています。
因みに、この時の跡はレントゲンを撮ると今でもくっきり写っています。


それから1週間、文字通りの寝たきり生活を送ったんだけど、松葉杖を使うためのリハビリに向かうために病室を出たときにドアに書かれていた文字に唖然。


4号室にいたことをその時に知りました。
日本だと絶対にありえないですね。

で、更に知った事実。

第4病棟の4階の4号室にいたんです。私。

毎日通っていた両親は何にも言ってなかったんだけどね。。。
因みに、海外では13が忌み数字なので、病院では12階の上が14階となります。


4並びの病室から無事に生還し、その後1ヶ月の自宅療養を経て普通の生活に戻れました。
2回目の手術がが終わるまで水泳以外の体育の授業は全て見学したし、体育祭も出られなかったけど、運動が超苦手な私には苦にはなってなかったのかな。多分。


今も右足に跡は残っています。明らかに「針山にしたよね、これ」的な刺し跡とともに。


…とオチがどこにあるのか解らない状態で書き逃げでみる。。。

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